メッセージ「父なる神の愛」イザヤ書54章10節
そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。 ―― あなたをあわれむ方、主は言われる。 イザヤ書 54 章 10 節 キリストは、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」という言葉を語りました。神を愛し、人を愛することが最も重要なのだと伝えたのです。私たちが従うべき唯一の基準は、愛です。 しかし、理解していないこと、自分が持っていないものを人に与えることはできません。人を愛するには、自分を愛することが不可欠なのです。自分自身を愛せない人が人を愛するのは、とても難しいことなのです。 しかし、自分自身を愛するのには、自分がどれだけ愛されているのかを知る必要があります。 神様の愛は「無条件の愛」だと語られることはよくあります。この「無条件」というのは本当に重要なことです。神様の愛が無条件だと頭でわかっていても、自分自身を条件付きでしか「良し」とできないことが人にはあるからです。 かくいう私もそうでした。私は神学校にいたとき、燃え尽き症候群、バーンアウトを経験しました。徹夜しても終わらない課題や奉仕で疲れ切ってしまったのです。きっかけになったのは神学生として直面した出来事でしたが、これには私自身の生き方も深く関係していたと思います。 その前に大学院生だった私は、毎日図書館が閉まる夜 10 時まで研究室にこもっていました。勉強しなければならないという強迫観念に駆られて、何もしていないときには罪悪感を覚えました。その後神学校に入学すると、神学校でこなさなければならないことの量は大学院の比ではありませんでした。成績優秀者の名前の張り出しや表彰などにもプレッシャーを感じていました。そこでますます私は睡眠を削って課題や奉仕、論文に没頭しました。その間、自分が人間ではなく神学校のためのただの歯車になっているような気がしました。その他いろいろなストレスが重なり、教会に行くために駅のホームに行けば、「今飛び込めばもう何もしなくても済む」というような考えが頭をよぎるまでにいたってしまいました。疲労が溜まりすぎて漠然と「死にたい」と感じるようになってしまいました。 その気持ちに歯止めをかけてくれた