メッセージ 聖書の核心 イザヤ書43章4節
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ書 43 章 4 節 私の母はプロテスタント教会のクリスチャンで、私は幼いころから聖書の話を聞いていました。中学校からはカトリックのミッションスクールに通い、その後カトリックの大学の神学部に入学しました。とは言ってもそれまでの私は信仰深いといえるような状態ではありませんでした。自主的に礼拝に出席することもあまりなく、聖書もほとんど読んでいませんでした。半ばご利益宗教のように何か特別に頼みごとがあるときだけ思い出したように祈ったりはしていましたが、キリスト教は自分の中でどこか価値観の一つに留まっており、優先順位が低いものでした。他にもっと大事なことのように思えるものが沢山あったのです。しかし母の勧めで神学部の受験を考え、聖書を読んでいるうちに、キリストの復活後に別人のように力強く宣教を始める弟子たちの姿が心に残りそこで学ぶことを決めました。 大学二年の時、母が病気で一時的に入院することになりました。不思議なことに母は入院中、それまでよりもずっと生き生きしていました。それは聖書の次の言葉が自分に語られたからだと言っていました。 「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」ヨハネの福音書 11 章 4 節。 そのことを通して、私は聖書に語られた神が今、生きているのだということを知りました。その頃から、私の世界を見る目は変わりました。もう道ですれ違う人も電車でたまたま同じ車両に乗っている人も、私には他人でなくなりました。キリストは出会う人々に優しさを表す人にこう語ります。 「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」マタイ 25 章 40 節 。この聖書の言葉ゆえに、出会う人は私にとってキリストとなりました。キリストは、私の人生そのものとなりました。 それから私は神様に仕えて生きていきたいと思うようになりました。一緒に勉強していた神父さんやシスター達の存在にもとても励まされました。カトリックの神学部でプロテスタント教会に属する自分が学んでいる意味も考えさせられるようになりました。私はもうしばらくここで学ぼうと思い、大学院の修