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この夏の旅の文集

学校のグループで巡礼に行ったので、その文集用の文章。 ワールドユースデー(世界中のカトリックの青少年が集まる大会)でスペイン 、それから引率してくださった先生の所属するフランスの修道会のキャンプ、 東方教会やカトリック、プロテスタントのブラザーが集まって暮らす場所テゼ、 ルルド、アヴィラ、セゴヴィアなど聖人の聖地などを訪れた。 **** ヴナスクでの長い沈黙の祈りの中で今回の旅を振り返って感じたことは、信仰もまた、キリストと共に歩む旅なのだということです。  キリスト者は人生の中である時自分の隣にイエス様がいることに気づきます。それは孤独を感じて何かを探し求めたり、苦しんでいる時に心の目が開かれるときだと思います。そしてその時からイエス様と本当に歩む信仰の旅が始まると思います。旅の途中で自分の荷物をイエス様に背負ってもらうこともあったり、反対にイエス様のくびきである愛を背負わせていただいたり、飢え渇いた時には涸れることのない泉から水を与えていただいたりします。また、ヴナスクの静かで美しい夕暮れの中で強く感じましたが、旅の中で出会う被造物、風の音、虫の声、花、木、空、鳥はすべて神様の尽きぬ愛を示します。椿の堅い実を割るのも、空や鳥や花に色を付けたのも、風を吹かせるのも、すべて神様の御業なのだなあと、しみじみ思いました。また旅の中で出会う人はすべて神様が遣わして下さった人であり、神様が私に伝えたいことを、出会う人の口を借りて伝えて下さることもあって、皆イエス様御自身です。今回の旅で出会った一人ひとりが、私にとってイエス様御自身です。隣にいる友達がふと心に残るようなメッセージを伝えてくれることがたくさんありました。出会う人に迫害を与えればイエス様を迫害することになり、出会う人に愛を注げばイエス様を愛することになるのだと思います。信仰の旅の中にはでこぼこの道も曲がった道もありますが、振り返ればそれらの道がすべて神様の愛で真っすぐな道になっていたり、平らな道になっていたりするのに気づくことがあります。 また、旅路の中で砂漠に出会うこともあると思います。しかし砂漠の中にこそ本当の命があるのだと思います。イエス様によって、砂漠の中でイエス様と二人きりになって、命を見つけるのだと思います。パウロが言うように、迫害も艱難も剣も裸も私たちからキリストの愛