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メッセージ 信じるということ 詩篇37:5-6

  あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。詩篇 37:5 - 6    信仰とは、信頼です。私たちが誰かを信頼するなら、私たちはその人の言葉を信じます。信じているならその人の言葉を疑うことはしません。信頼している相手は、自分を大切に思い、自分の幸せを願ってくれると感じます。その人が自分に対して悪を図るとは思いません。私たちが誰かを信頼するならば、私たちはその人の愛を疑いません。  神に対してこのような思いを抱くことが信仰です。信仰は神に対して信頼することであり、神の言葉を信じ、神の愛を信じることです。    物事がうまくいっている時に神を信じることはさほど難しくないかもしれません。しかし、予期せぬ出来事に出会うとき、つらい日常に終わりが見えないとき、神を信じることは試練となります。  聖書を読むと、神に従う者で試練に合わない者はいません。必ず神から引き離そうとする存在、サタンが働き、苦しみを通ります。ダビデ、ヨブ、パウロ、預言者たち……皆が試練を通っています。  私たちも神に本当に出会ったならば、少なからずそのような経験をします。それでも信仰を手放さない人がいるのは、神とともにいる最低な日は、神とともに生きてはいなかった最高な日よりも遥かに素晴らしいからです。  神は全てを益とすると聖書に約束していますが、試練にあっているときにこれを信じることは難しいことです。私はそんなとき旧約聖書の創世記にあるヨセフのことを思い出し励まされます。  彼は兄たちの嫉妬から殺されかけ穴に放り込まれてしまいます。その後商人に拾われ彼はイスラエルからエジプトへと渡ります。そこでも人の悪意により投獄され、長期にわたる獄中生活を送ります。しかし最後には王に仕える立場となり、飢饉に陥ったイスラエルに住む家族らを助けることになります。    ヨセフは人一倍人からの悪意や拒絶を経験していますが、最後にはそれがすべて益となって家族との和解がもたらされるのです。    私たちには人生の先のことは見えていません。今がつらいとき、それがどんな意味を持つのか全くわからない事が多くあります。またそれがいつ終わるのかもよく分からないこともあります。    だからこそ、生きる上で信仰