教会で扱う個人情報の問題


 2021年2月にFEBCSprout!というラジオ番組において、教会で被害を受けたセクシャルハラスメント、またそれによって教会を出なくてはならなくなった体験についてお話ししました。放送後内容の補足として描いた文章を以下に掲載します。セクシャルハラスメントに限らず、特定の人物に対する攻撃的な行動などすべてのハラスメントを防止する意味でとても大切なことだと思います。牧師には男性が圧倒的に多いのでなかなかハラスメント被害者の受ける恐怖感が理解されにくい現状があります。意図せず加害者の行動を助長させる行動を牧師自身が行っている教会が数多くあります。このメッセージが特に男性の牧師に届くことを強く祈ります。ここに書いたことに加えて初めて教会に訪れた際よく住所·年齢·生年月日·連絡先などの個人情報を半強制的に書かせるのも危険な因習ではないかと思います。また、女性の神学生には牧師がセクシャルハラスメントやパワーハラスメントを行うことも少なくないです。単立や小さな教団は特に現状改善システムが無いです。教派を超えて被害者を守る必要があります。こういった問題を一人一人にご理解いただけることで状況は変化します。

  
 今回の放送で補足でお伝えしたいのは、牧師先生達は、自分の牧会する教会の方々の連絡先を本人の了解なしに他の教会員に伝えないでほしいということです。 特によっぽどのことが無い限り女性や子供の連絡先を安易に他人に教えないでほしいです。 気をつけていないと、メール転送、メールの一斉送信、ライングループなどで簡単に伝わります。 

 それが犯罪に加担する可能性のある行為になることを知ってください。 
 
 今回の放送でお話した事例は、教会に通うことになる直前にストーカー行為で警察沙汰になった方と同じライングループに牧師が私を入れてしまい、連絡先が分かってしまったことや、教会で全員が全員と握手するような習慣が半強制で行われていたことが原因となりました。 
 私がセクハラについて牧師に相談するまで、その方にその過去があったことは知らされませんでした。もし事前に知っていれば同じライングループに入るのを承認しませんでしたし、絶対に手を握らせませんでした。 このような事が引き金として作用してしまいました。 危うく次のターゲットになるところでした。 
 
 放送でお話したように現状日本の教会教職は男性社会で、牧師は殆ど男性なので、セクハラやストーカーなどの被害者が抱く危機感や恐怖感が理解し辛い方が多いかもしれませんが(被害に合うのが女性のみとは限りませんが)本当に気をつけてほしいです。 
 
 教会にはいろいろな方が来ます。分け隔てなく受け入れるのが教会の良さなのですが、だからこそ他の場所で簡単に受け入れられない方が多く来ます。前科があっても自己申告がない限り普通分かりません。しかし祈祷課題などで他の場では話さないようなかなり個人的なことを話すこともある特殊な場所が教会です。だからこそ、思慮深さを持って対応してほしいです。 

 私が経験したように、ある人が持つ前科やその人が他の場所などで問題を起こしたことがあるのを教会の教職者が知っていても、肝心の危害が及ぶ可能性の高い方々には全く知らされないでいることもよくあります。牧師がその人よりも年上の男性であれば危害を向けられることは少ないかもしれません。なぜなら被害が向けられる対象として選ばれるのは身体的に加害者より弱い人だからです。それゆえ牧師が初めにきちんとした対応策をしない限りは、問題について牧師だけが知っていても無意味に等しいのです。
 守秘義務が絡むのは分かりますが、くれぐれも善意を履き違えないでほしいです。一度問題が起これば、被害者が被害を訴えるのは本当に勇気がいることで、被害者は孤独な状況で長い期間悩んだり苦しまざるを得ないという事が必ず起こるのです。また被害者の苦しみに対して牧師が責任転嫁したり深い理解を示さないと、セカンドハラスメントによってさらに被害者は苦しむことになります。

 誰でも自分の身を一番よく守れるのは自分であり、きちんと知らされていれば未然に防止できる被害があります(祈祷課題でも個人情報を話さない、過度な関わりを避けるなど)。
 危害を及ぼす可能性のある人から、教会の方々(女性や子供は特に)が守られるようにしてほしいです。 これは前科のある人を無下に扱うことではありません。寧ろ逆だと思います。 

 他人に危害を及ぼす可能性の高い方(未成年でも犯罪は可能です)には安易に(zoom上であっても)礼拝や祈祷会に誘うのではなくまず他の方々に接触させるかどうかからよくよく考えてほしいです。 接触させるだけでも不純な欲求を満たすことに加担したり、問題の温床になる可能性があることを知った上で判断していただきたいです。 特に性犯罪の類いは本人が悔いていても、理性で制御できない場合も多いので、引き金になることをー切避けさせるのが本当の意味で本人のためになることもあります。 勿論そのような方に個人的に伝道するのは本当に素晴らしいことです。 しかし他人の安全が保証されない段階で交わりに招くなら、女性や子供のいるグループは避けるなどして、どの集まりなら大丈夫かをよく考えて招いて欲しいです。 どうか危機感を持って教会の方々を守ってください。 心からお願いします。






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